悲劇の王妃マリー・アントワネットを癒した「家族の刺繍」の物語

悲劇の王妃として名高いフランスのマリーアントワネット。フランス革命で国王一家は囚われの身となり、王家の監獄だったタンプル塔に幽閉されてしまいます。
人々に激しく憎まれ、逃亡も絶望的な明日をも知れない毎日・・・そんな中で、アントワネットの心を癒やしていたのは、家族との何気ない語らいと、大好きな刺繍をする時間でした。
マリー・アントワネットと娘のマリーテレーズが苦しい境遇の中でこそ、一心に取り組んでいた刺繍・・・2人にまつわる切ないエピソードが、今も語り継がれています。
1:マリー・アントワネットの心を癒やした刺繍

皆様、ウィーンのお土産としても有名な「プチ・ポワン刺繍」をご存知ですか?
1㎝四方の中に、なんと50-300もの細かいステッチで、貴婦人や花々、田園風景など絵画のような美しい絵柄を描く、大変華やかな刺繍です。
マリーアントワネットの母、女帝マリア・テレジアの宮廷で始まり、ウィーンの貴婦人たちの間でも、プチポワン刺繍が盛んにおこなわれていたそう。マリア・テレジア自身もたしなんでいたそうなので、アントワネットも母から刺繍を教わったのかもしれませんね。
実際、アントワネットもプチポワン刺繍をこよなく愛したと言われていて、お輿入れをきっかけにフランス宮廷でも、当時、爆発的に流行しました。アントワネットの故郷から持ち込まれたプチポワン刺繍は、貴婦人のバッグやポーチなど身の回りの小物を彩り、古くからフランスで親しまれるフランス刺繍をともに宮廷生活に欠かせないものになりました。
ヴェルサイユ宮殿の王妃の居室やプチトリアノンの椅子やベッドなど身の回りの品にもたくさんの刺繍があしらわれていて、写真を眺めているだけでうっとりしてしまいます・・・。

椅子やベッドには、王妃が愛したバラとナデシコの刺繍が贅沢にあしらわれています)
ところが、美しいものに囲まれた幸せな生活も突然、終わりを迎えてしまいます。革命の嵐が吹き荒れる1792年。王妃マリー・アントワネットと国王ルイ16世、義妹エリザベート王女、2人の子供達マリー・テレーズ王女とルイ・シャルル王子は、当時の居城のチュイルリー宮殿を追われ、タンプル塔に幽閉されてしまったのです。
国王一家は、王政を完全に廃止するために裁判にかけられることになり、家族だけで陰気な監獄の小部屋に閉じ込められてしまいます。外にも出られず、家族以外の誰とも会うこともかなわず、牢番に常に監視をされながらの、つらく苦しい生活が始まります・・・。
当時のフランスは、貴族や聖職者が豪華な生活を送る一方で、貧富の差が激しく、飢饉が相次いでいたために大多数の民衆は長年、飢えと貧しさに苦しんでいました。
フランス革命で一気に形成が逆転して、貴族たち・聖職者たちが亡命をしたり、捕らえられるようになると、国民は溜まりに溜まっていた憎しみを貴族や聖職者に向けていきます。そんな極めて不安定な社会情勢の中、国王一家は亡命を試みますが、国境間近で捕らえられ失敗に終わってしまいます。アントワネット達は、暴徒に囲まれながらパリに連れ戻され、やがてタンプル塔に幽閉されることになってしまったのでした。

出入り口が少なく、「脱出はほぼ不可能」と言われていました)
自分たちを搾取していた特権階級の頂点である国王一家。さらに、あろうことか、祖国と自分たちを捨てて逃亡まで図った・・・裏切られた国民の怒りはますます燃え上がり、激しい敵意や憎しみが一家に注がれていくようになってしまったのです。
こんな状況の中、タンプル塔に幽閉されたアントワネットたちは、塔の番人や革命政府の役人達から、毎日のように嫌がらせや侮蔑の言葉を投げつけられていました。さらに、窓を開ければ、通りから国王一家を罵倒する民衆の声や、親しい貴族たちの処刑や虐殺のニュースを知らせる新聞売りの声が毎日のように聞こえてきたと言います。
何不自由なく、人々にあがめ奉られ、ヴェルサイユ宮殿で華やかに暮らしていたアントワネット。沢山の人に愛される日々から、全ての人の憎しみを一心に浴びる日々への転落・・・。毎日のように憎しみや怒りをぶつけられ、もはや逃げることすら絶望的な状況は、この上なく恐ろしく、つらいものだったことでしょう。
そんな幽閉生活の中で、アントワネットと王妹エリザベート王女、娘のマリー・テレーズ王女の三人は、暇を見つけては、刺繍や編み物をしていたと言います。

タンプル塔の国王一家を描いたこちらの絵画。画面中央に口で糸を切るアントワネット、左下に座って裁縫箱からレースを取り出す義妹のエリザベート、そして、2人の間には、箱からリボンを取り出している娘のマリー・テレーズの姿が描かれています。(床に座って遊んでいるのは王太子のルイ・シャルル、右端のベッドで居眠りしているのが、夫の国王・ルイ16世です)
そして、アントワネットが作った作品のうち、今も現存しているのがこちら↓

ベルサイユ美術館に収蔵されているアントワネットとエリザベートが刺繍した絨毯です。一面、プチポワン刺繍で埋め尽くされた6メートル×4メートルにも及ぶ超大作!タンプル等に幽閉される少し前から作り始め、タンプル塔の中でも製作は続き、2年がかりで完成させたと伝えられています。
私も現物を拝見しましたが、苦難の日々の中で、これほど美しい大作を作り続けた2人の生きることへの強い執念や、「いつか、この絨毯をひいた家で家族みんな、幸せに暮らしたい!」という切ない願いが、ドッと伝わってきて、切なさで胸が一杯になってしまいました・・・。

その後、5ヶ月間の家族5人ですごした生活は、夫ルイ16世の処刑と共に終わりを告げます。さらに、夫の処刑後、アントワネットが愛して止まなかった8歳の息子ルイ・シャルルまで家族から引き離されてしまいました。
そして、アントワネット自身も裁判にかけられるため、コンシェルジュリー監獄へと移送され、義妹エリザベートと娘マリーテレーズとも別れることに・・・そして、二度と家族と会うことはかないませんでした。
コンシェルジュリーに移されてからも、アントワネットは編みかけの息子の靴下を完成させようと、タンプル塔から編み物道具を取り寄せようとしたそうです。(これは『編み棒で自殺を図る恐れがある』として許可されませんでしたが・・・)
このエピソードは娘のマリーテレーズの遺した回顧録に書かれているのですが、アントワネットの手芸好きがうかがえる内容が記されています。
「私たちは(タンプル塔に残されたマリーテレーズとエリザベート)、編みかけの靴下と一緒に、手元にあるかぎりの絹糸と毛糸を送りました。母がどんなに手芸好きか知っていたから・・・。」
「母はかつて、お芝居が上演されている時以外は休みなく針を動かしている人でした。だから、母が作った調度品、絨毯、あらゆる種類の縫い物、編み物は大変な数にのぼりました。」
「マリーテレーズ王女の回顧録」より
手芸が大好きだったアントワネット。不安で辛い境遇に陥っても、無心で針を動かすことで、なんとか気持ちを紛らわせたり、強い心を持ち続けることができたのかもしれませんね…。何より、美しいものを自分の手で作り上げていくことで、わずかでもときめきや喜びを感じることができたのではないでしょうか?
幼い頃に母から教わり、ヴェルサイユで幸せに暮らしていた頃、家族や友人たちと楽しく語らいながら刺していたプチ・ポワン刺繍・・・。細かい針目の高度な技術と大変な根気のいる作業。それでも成し遂げられたのは、幸せな記憶を思い起こしながら、希望を失わずに作業をしていたから…なのかもしれません。
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