本当のハッピークリスマス物語~女王ヴィクトリアが広めた愛を贈る習慣とは?

クリスマスが近づいてくると、メディアにはおしゃれなプレゼントの広告が流れ、街はカップルであふれ、SNS映えする華やかなイルミネーションがキラキラと街を彩りますよね。ハッピーなのは子供たちとラブラブカップルばかり・・・なぜか、さみしさを感じたり、「早くクリスマスが終わればいいのに・・・」という気持ちになったりしませんか?
正直、私はめちゃくちゃ、このように感じてしまいます!パートナーがいた時期ですら、「クリスマスって、ホント、めんどくさい儀式だなぁ・・・」と思っていたぐらいですから・・・。
日本では「クリスマスは、仲間と集まってはしゃぐ日、パートナーがいるならラブラブな気持ちを表現しなくちゃ行けない日」のような風潮があるような気がしませんか?
そのせいか、シングルだったり、30代を過ぎて仲間の多くが家族持ちだったりしてクリスマスに友人同士で集まりにくい年代の場合、「クリスマスから、一人だけ取り残された感」を感じてしまうんでしょうね。
そこで、いつもは、つい見て見ぬふりをしてしまうクリスマスについて、プリンセスのエピソードと併せて調べてみることにしました。すると、そこには、現代のクリスマスとは全く違う、ハートウォーミングなクリスマスの物語があったのです。
1:「クリスマス」を広めたヴィクトリア女王とアルバート公

クリスマスの定番アイテムといえば、クリスマスツリーにクリスマスケーキ、クリスマスプレゼント、クリスマスケーキ、七面鳥のロースト(日本ではチキンですね♪)、クリスマスカードなどなど・・・ですよね?
実は、これらは200年ほど前にイギリスのヴィクトリア女王の時代(ヴィクトリア朝時代)に定番となったのだそう。
それ以前は、ドイツ語圏の国々を除いては、クリスマスツリーを飾ったり、クリスマスに一般庶民の家庭でケーキやご馳走を食べたり、プレゼントやカードを交換する習慣はなかったのだとか・・・なんとも味気ないクリスマスですよね(^_^;。
そんな味気ないクリスマスを、家族や友人たちと楽しんで過ごす日に変えたのが、19世紀のイギリスのヴィクトリア女王夫妻なのです。
実は、ヴィクトリア女王と夫のアルバート公は、ドイツにルーツを持っていました。ドイツといえば、現在でもクリスマスマーケットで有名ですが、当時は英語圏よりもドイツ語圏の方がクリスマスを家族や街ぐるみで祝う風習が盛んだったようです。
そんなドイツのクリスマス文化を懐かしんだヴィクトリアとアルバートが、居城のウィンザー城でドイツ流にクリスマスを祝うようになり、それが新聞記事などを通してイギリスの一般庶民に知られるようになったとか。
「理想の家族」として国民の憧れとなっていた女王一家が新しく始めた、
素敵なクリスマスの祝い方を、皆がこぞってマネをしはじめて、イギリス中に広まったと言われています。
やがて、ヴィクトリア女王流にクリスマスを祝う習慣は、イギリスだけにとどまらず、アメリカやオーストラリアをはじめとする英語圏の国々を中心に、世界中へと広がっていったのです。
① 子供たちのためのクリスマスツリー

(帝国ホテルプラザ東京ロビーにて撮影)
ヴィクトリアとアルバートが本格的なクリスマスツリーを飾るようになったのは、長男のエドワード王子が誕生した1841年頃といわれています。
ドイツの小国ザクセン=コーブルクの王子だったアルバートが祖国の風習を息子に伝えたいと、モミの木を取り寄せ、ウィンザー城に飾ったことが始まりだとか。
高さ8フィート(約2.4m)のモミの木は、現在のように床の上に置かれるのではなく、雪のように真っ白なクロスのかかったテーブルの上に乗せられていました。
そして、女王夫妻の子供たちが増えるにつれて、ツリーの本数も増えていき、子供たち一人一人に「Myツリー」が与えられたそうです。(女王の母・ケント公妃用のツリーもあったのだとか)
そして、それぞれのツリーには、このような何ともかわいらしく、メルヘンチックな飾りが施されていました。

火のついたロウソクにリボン、金箔を貼ったクルミが飾られていたり・・・
ドールハウスの人形や小物、アイシングが施された様々な形のクッキーがリボンでくくりつけられていたり、
当時はまだ珍しかったキャンディ菓子の入ったミニバスケットまで飾り付けられていたと伝えられています。

これだけでもワクワクしてしまう飾り付けなのですが、
ツリーの足元には子供たちへのプレゼントが置いてあったとか・・・。
当時はプレゼントに包装を施さなかったそうなので、木馬、人形にぬいぐるみ、絵本、ブリキの蒸気機関車・・・沢山のおもちゃがツリーを取り囲んでいたそうですよ。

蒸気機関車、騎馬兵隊、お人形、くるみ割り人形・・・沢山のおもちゃたちが勢揃い!
大広間に飾られた何本ものクリスマスツリーが、たくさんのロウソクの灯りにきらめく様子は、夢のような光景だったことでしょう・・・。
そして、たくさんのお菓子とおもちゃで飾られた「Myツリー」を見て、子供たちがどんなに心をときめかせ、喜んだことか・・・。
歓声をあげてはしゃぐ子供たちを幸せそうに眺めるヴィクトリアとアルバート、そして祖母のケント公妃の姿が目に浮かぶようですね。
実際に、ヴィクトリアはある年のクリスマスの光景を、日記にこう記しています。
「この祝福に満ちた祭りを、私の最高に幸せな日々に結びつけることができるのが本当に嬉しい。
このクリスマスツリーの香りが素敵な思い出になることでしょう。
子供が楽しそうにツリーを見ている・・・まるで夢のようだわ」
このように女王一家がツリーを囲んでクリスマスを祝う様子は、
1848年にイギリスの新聞「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」にイラスト入りで紹介され、「なんて素敵なクリスマスなのだろう!」とイギリス中で大反響を呼びました。

ツリーの両端にヴィクトリアとアルバート、左後方にはヴィクトリアの母・ケント公妃の姿も。
幸せそうな一家の様子は人々の憧れの家庭像となり、ツリーを飾る習慣は瞬く間に一般庶民に広まっていったそう。
こうして、イギリでは、「クリスマスは、家にツリーを飾り、家族とともに過ごすもの」というイメージができあがったと言われています。
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