マリーアントワネット最愛のスイーツ3選~王妃を支えた郷愁のお菓子の物語

ベルサイユ宮殿に華やかに君臨し、歴史に残るドラマチックな生涯を送ったフランス王妃・マリー・アントワネット。
「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃないの」という言葉で知られているように、国庫が傾くほどの贅沢な暮らしを送っていた・・・というイメージを持たれることが少なくありません。
(実は、この言葉はアントワネットが口にしたものではなく、革命時に王妃をおとしめるために広められたデマだったのですが・・・)
このような「派手好き」というイメージから、アントワネットは毎日のように豪華なお菓子に囲まれ、贅沢なティータイムを楽しんでいた・・・と思っていらっしゃる方も少なくないのではないでしょうか。
ところが、実際に彼女がこよなく愛したお菓子は、
華やかに飾り付けられたデコレーションケーキでもなく、パステルカラーのかわいらしいマカロンでもなく、
宝石のようにきらびやかなプティフールでもありませんでした。
史実を紐解いていくと、王妃の好物だったお菓子は意外なほどに素朴でシンプルなものばかり・・・。
なぜ彼女は、ベルサイユ宮殿のパティシエたちが腕を振るった贅沢なお菓子ではなく、素朴でシンプルなお菓子を好んだのでしょうか?
その謎を解くカギは、アントワネットの故郷・オーストリアと愛する家族にありました 。
今回は、アントワネットが生涯、愛した3つのお菓子をめぐる知られざるエピソードをご紹介します。
① 生涯愛した故郷のケーキ、「クグロフ」

マリーアントワネットが愛したお菓子として、最も有名なものが「クグロフ」です。
クグロフは、アントワネットが故郷オーストリアからお輿入れした際にベルサイユに持ち込んだことから、貴族の間で人気となり、フランス全土に広がったとも伝えられています。
ちなみに、「クグロフ」はフランス語の呼び名で、アントワネットの故郷・オーストリアでは「クーゲル・ホップフ(Kugel hopf)」と呼ばれています。
先が尖った「僧侶の帽子」のような形をしていて、イーストを使って焼き上げた甘い菓子パンの様なお菓子です。
作り方は至ってシンプル。バターたっぷりの甘い生地にリキュールで浸したレーズンを入れ、イースト菌やビール酵母で発酵させたものを、陶器のクグロフ型に入れて焼きます。
すると、外側はデニッシュ生地の様にサクサク、中はしっとり、ふんわりした食感になるのだそう。
とても美味しそうなお菓子なのですが、素朴でいたってシンプル・・・豪華で美味しいお菓子をいくらでも食べることができたフランス王妃が愛したスイーツ、というイメージからは、ほど遠いお菓子ですよね。
そう、クグロフは、元々、オーストリアやドイツ、スイス、フランス北西部のアルザス地方に伝わる素朴な郷土菓子なのです。
アントワネットの故郷・オーストリアでは、クリスマスなど季節のイベントの際に各家庭でクグロフを焼いて食べる習慣がありました。
クグロフは「オーストリアのお袋の味」とも言えるお菓子で、オーストリアを治めていたハプスブルク家にも先祖伝来のレシピがありました。
アントワネットの母マリア・テレジアとその子供たちも、クグロフを朝食やお菓子として普段から良く食べていたそう。素朴な郷土菓子・クグロフはアントワネットにとって、母との思い出がつまった特別なお菓子だったのです。
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さて、アントワネットがフランスに王太子妃としてフランスにお輿入れをしたのは、わずか14歳の時でした。
当時、一国のプリンセスが他国にお輿入れする時には、「故郷との完全なる決別」が求められました。
それは、ほとんどの場合、里帰りをすることは叶わず、親とも二度と会うことができない・・・と言うくらい厳しいものでした。(実際にアントワネットは、生涯、里帰りをすることも、母と会うこともできませんでした)
家族や懐かしい故郷の人たちと離れ、たった一人で全く知る人もいないベルサイユ宮殿に嫁いできた14歳のアントワネット。
周りには誰一人、心を許せる人がいないばかりか、物見高い貴族たちの意地悪な噂話や好奇の目にさらされる毎日・・・。
まだ幼さの残る14歳の少女にとっては、どれほど心細い日々だったことでしょう。
結婚からまもなく、ホームシックに陥った王太子妃アントワネットは、朝食にクグロフを出すよう命じ、それからは毎朝のようにクグロフを食べていたと伝えられています。

この習慣は、王妃となってからも続き、プチ・トリアノンでの家族や気の置けない友人たちとのティータイムにもクグロフがテーブルに並べられたそう。
そして、フランス革命で宮殿を追われ、タンプル塔にとらわれの身になってからもクグロフを食べていた・・・とも言われています。クグロフは、アントワネットにとって、喜びの時も哀しみの時も、いつも傍らに寄り添ってくれた「特別なお菓子」だったのです。
華やかで豪華な生活を楽しみ、人生を謳歌していたと思われている、王妃マリーアントワネット。
けれども実際は、わずか14歳でフランスに嫁ぎ、断頭台で処刑されるという劇的な運命に翻弄されながら、一度も故郷に戻ることも、誰よりも心許せる大好きな母に会うこともかないませんでした。
お輿入れから亡くなる直前まで、華やかで豪華なお菓子ではなく、素朴なお袋の味・クグロフを食べ続けたのは、懐かしい故郷と家族の幸せな記憶に、孤独な心を癒やされていたから、なのではないでしょうか。
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